4歳上500万下

“血統表”と“現実”のすり合わせ、“競走馬の個性”の解釈

秋華賞の回顧 / 日本の芝レースと血統について

紫菊賞のアダムバローズは、母が米血の塊らしいパワーと馬っぷりの良さがありますね。2着のワンダープチュックは、母のSecretariat≒Bold Bidderの影響かちょっと非力な斬れにうつるのでクラシックとなると更なる成長がほしい。ちょっと時計的には物足りない気がしましたが、さすがに昨年(シルバーステート)は超スロー、一昨年(ティルナノーグ)は馬場が速い過ぎましたか。

 

クイーンズリングは、良馬場の東京での走りを見るとやっぱりRiverman牝馬らしい切れで、ヴィクトリアマイルで時計対応が厳しかったことからも1400の馬では無くて、マイルよりのフランス斬れというイメージでいます。

今年の東京新聞杯阪神牝馬Sで先行馬としてもうひとつ成長した3着スマートレイアーは、Lyphard4×4・5が強く出てきたとみれば、今なら1800先行が面白いのかなとも思ったりします。GI級の能力はあるんですが、なかなかストライクゾーンが狭い馬だなという感じです。繁殖牝馬としては楽しみ。

スペリオンを重ね続けてきたハーツクライ産駒シュンドルボンが、東京のスローで上がり最速33秒3を叩き出して6着。ベタですが、エリ女では本命級の評価で良いでしょう。ただ、平坦の京都ならば、馬場が多少渋った方がさらに。

 

-----

 

と、日曜朝にここまで書きましたが、レポートや学生懸賞論文の期日が迫っており、週中までいっぱいいっぱい。今日はひとまず簡単に秋華賞の振り返りと、それに関連して少し考えていた馬場の話を書いてみたいと思います。

 

レースの上がりはここ10年ではダイワスカーレットが勝った06年(33秒9)に次ぐ速さ(34秒4)で、クロコスミアの1000m通過59秒9のペースで縦長なのですから、位置取りや瞬発力、機動力がモノを言ったレースでした。

 

ヴィブロスは、福永騎手がコメントしていたようにヴィルシーナにさらに瞬発力が加わったという感じで、出走していたディープ産駒(他にレッドアヴァンセ、パーシーズベスト、ビッシュ)の中では最もレースセンスが高く自在性があるタイプであることは間違いなかったはずです。

 

パールコードも言うまではありませんが、道中は距離ロスを避け、紫苑Sとは異なり4角で惰性を付けながら進出できたことが好走の要因。

 

カイザーバルは、バンデージを巻いているので少し分かりにくいのですが、望田先生のブログのコメント欄を見ても、Nijinskyダンシングキイの影響がある胴長体型で、君子蘭賞なんかを見てもあのフォームはどちらかといえば外回り向きですよね。そんな中、折り合いを欠きながらの3着死守は地力の成せる業で、「能力だけならトップレベルにヒケをとらない」といつも言っていました陣営の言葉が形となりました。エリ女(出れないか)はひと雨降ればなお良しでしょうし、愛知杯ならさらに面白そうです。「アヴェンチュラのイメージで」とコラムにも書いたように、内枠を引いてパールコードのような、アヴェンチュラのような競馬ができれば金星まであったと思うんですが、良しとします。

 

ジュエラーはさすがの走りで、彼女はやはりフランス的切れ味のある中距離馬。エリ女が非常に楽しみになりました。

 

ミエノサクシードデンコウアンジュという、外回り向きのストライドで走る馬は今日の流れで外を回るとあそこまでが精一杯。悲観する負け方ではありません。パーシーズベストは母父スプリンターらしい硬派なピッチ走法ですが、競馬の形が限られているのが難点。それでもここまで追い込んで来るのは、ピッチ走法であるが故でしょう。

 

ビッシュは、少し流れに乗り切れず反応しきれませんでした。持続力に富んだタイプが新潟外回りの緩い流れに全く反応せずに沈んでいくことと質的にはにています。

 

-----

 

レース質に対する考え方

この秋華賞や、ダービーや、安田記念や、昨年の有馬記念のような緩い流れのレースを見ると、レース後ちょっと気が抜けてしまうことがありました。

それに比べて、今年の皐月賞や、宝塚記念や、凱旋門賞や、スローペースでもハーツクライが遠征した2006年のキングジョージや、2015年のドバイワールドカップ(Prince Bishop)などの、「スタミナが搾り取られるようなレース」をみると何かこう、すがすがしい気持ちになることが多々ありました。また、そのようなレースの方が、「競馬のレース」として正しい方向性であり、競走馬の遺伝的な基礎能力の向上にもつながるのではないかと考えていました。

しかし、栗山求先生の文章を読み考え方が変わり、秋華賞や、ダービーや、安田記念や、昨年の有馬記念は、日本らしい素晴らしいレースだと思うようになりました。

 

血統レベルの向上=「淘汰の基準」の下に突き詰められること

競走馬の適性というのはもちろん先天的なものもありますが、育成、調教といった後天的な要素も影響しやすく、これは言い換えれば、Nasrullahが英米どちらでもリーディングサイアーになったり、Nijinskyダンシングブレーヴというアメリカ産のアメリカ血統の馬が欧州で歴史的名馬になったりしているように、血統レベルが高ければ、どこの国で調教されても一流になることができるということです。

そしてその血統レベルというのは、淘汰され、淘汰され、向上していくものなので、力のいる芝、軽い芝、短距離、ダートなどという、「淘汰の基準」の下に突き詰められることは良いことであるのです。

つまり、日本は、芝中距離のスピード・瞬発力勝負という、英愛の力のいる芝とも、アメリカのダートとも異なる特異な「淘汰の基準」によって血統レベルが向上している、した、といえます。だから、北米で誕生し、全世界を席巻しているNorthern Dancerのように、血統史を塗り変えるようなオリジナルな名血が生まれる可能性があるということであり、これは素晴らしいことです。

 

「淘汰の基準」とは異なるベクトルの血も重要

しかし、名馬を生むために配合というのは重要であり、配合には「相反する要素を伝える血統」が重要(スタミナのブラックタイド×スピードのサクラバクシンオーからキタサンブラックが誕生したように)だから、「淘汰の基準」とは異なるベクトルにある血を繋げたり(零細血統を種牡馬入りさせるetc)、導入する(海外の血の導入)ことも同時に重要だと思います。このような、「濃くない血統の多様性の確保」という観点から、北海道の洋芝や、阪神芝という重めの芝というものは重要だと思います。

 

望田先生がいつも言われているように、「強さにもいろいろある」わけであって、今年の凱旋門賞マカヒキが大敗したから、日本競馬は弱いというわけでは全くなく、栗山先生の言葉を借りれば、「日本の馬が欧州で通用するかどうかというのはひとつのオプションであって、それが馬産の目的ではない」のです。海外のレースで勝利することは、大変名誉なことで誇るべきことですが、その際に相対的に日本のレースの価値が低いかのように報じたり、考えたりする必要は全くありません。もっと日本の競馬、日本のレースに自信を持つべきだと思います。

 

【参考】

kuriyama.miesque.com

kuriyama.miesque.com

kuriyama.miesque.com

blog.keibaoh.com

広告を非表示にする