4歳上500万下

“血統表”と“現実”のすり合わせ、“競走馬の個性”の解釈

坂口安吾『堕落論』要約・感想(1)

ぼくは、何かこう、冷徹な考察というか、「綺麗事を否定して真理を突く感じ」 が好きだから、教授に勧められて、坂口安吾の『堕落論』を読み始めた。ただ1度さらーっと読んだだけでは心に入ってこないから、キリの良いところでまとめていきたいと思う。

 

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 日本人は、「昨日の敵は今日の友」という言葉があるように、最も憎悪心の少ない、またそれが永続しない国民であるために、武士道のような規定がないと、戦闘にかりたてることはできない。武士が復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追ったのは、人間の本性ではなく、仇討の法則と法則に規定された名誉のためなのだ。武士道は、「人間の弱点に対する防壁」のために生まれたといえる。

 

 天皇制というものがある。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。常に政治的理由によってその存立を認められてきた。陰謀が成功したことはない。政治家の、「日本人の性癖を洞察する嗅覚」によって天皇制が発見されたのだ。代わりえるものなら、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。武士や貴族といった政治家たちは、自己の永遠の隆盛を実現する手段として天皇制の必要を嗅ぎつけており、平安時代の藤原家などは、天皇を拝むことによって、自分の威厳を示し、威厳を感じていた。

 

 けっきょく、人性や本能に対する禁止事項である武士道や、権謀術数である天皇制も同じようなもので、それ自体は真理でもなく自然でもないが、洞察の結果は人間的であるということだ。

 

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 安吾の作品を読んでいると、この世の物事は全て解釈であり、本質的には全て無意味なものだと感じる。だけれども、人間が生きていくためには、権謀術数などによって、社会を、国家を生み出していくのが最も良い形なのだろうし、自然とそうなってきた。日々起こっている政治の諸問題、その根本である国家論を学んでいるが、さらにその根本を考えされられた『堕落論』の序盤であった。

 

 

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